先日、澁谷水道を歩いて火がついたので、
以前から気になっていた江戸時代の水道、
三田用水をひとり歩こうと思っていました
散歩としてはマニアックなので
誰もついてきてくれない、と思いつつ
一応みんなに連絡してみると
汐留組も含めて総勢5名のフルメンバー
みんな、好きだねえ
三田用水については
各種Web上で詳細が検索で見つかりますので、
興味がある方はそちらを参照ください
朝9時、笹塚駅から歩き始めます
歩く前に宣言、
「三田用水以外の寄り道はしません、グルメなし」
笹塚駅の南側には玉川上水が流れています
概ね暗渠ですが、このあたりは開渠です
手入れが定期的にされているのがわかります
水もきれいです
東京都水道局の管理です
この先はまた暗渠となります
右側に階段がありますが、
そこに取水口があり、分水、
つまり枝分かれしていたそうです
これこそが、今回の散歩の目的
三田用水です
目黒区三田方面に流れた用水路で
江戸時代前期1664年に三田上水として開削され
一度廃止されたのち、嘆願を受け農業用水として復活
昭和27年、1952年の廃止まで
約300年という長期にわたり流れ続けました
自然の川とは違い、人の手で作られた水の流れであり
使われなくなった水路は埋め立てられ、
売却による宅地への転換等、
現在ではぼんやりとした面影が残っています
単純な暗渠であれば、
ほとんどの場合道となり辿ることはできますが
宅地化されているところもあるので
行き止まってしまいます
玉川上水緑道から一本入った道を歩きます
お?
JK?
JK倶楽部…(ニヤリ
このように、一見不自然な区割り、境界は
用水の跡である可能性が高いです
大通りです
水路はこの道が通る頃はどんな風になっていたのでしょうか
我々人間は信号に迂回します
大通りは井の頭通りでした
この道もかつては和田堀水道と呼ばれた、
水道管が埋設された水の道です
雨の予報でしたが抜けの良い
ほどよい日差しの好天でした
先ほどの道を振り返り、
取水口までの直線を思い描きます
そしてこの直線上にある道こそ
三田用水跡なのですが
その脇にある池ノ上小学校
この脇道が、三田用水の分水路だったそうです
地理院地図には水路が描かれています
注意看板の顔もないキャラクターに
名前が与えられていました
今日から彼は「チョメ太郎」です
ずんずん進むと、私有地のようでした
三田用水に戻りましょう
鮫洲大山線の拡幅工事中
地下化した小田急線東北沢駅前
ひらけた視界の先には東京ジャーミー
4年前の散歩で訪れていました
な、なんと、カフェ併設のコインランドリーです
最近空きテナントにコインランドリー増えたよね
三角橋交差点を東へ
三角橋、という名前は
三田用水の名残らしいです
東京大学先端科学技術センター
この門の両脇にも欄干の跡があるらしいです
スルーしてしまった
街の角から素敵なバスが出てきました
リバー跡サイド
二郎系ラーメンの名店は
まだオープン前の時間
上原二丁目交差点で道を一本入ります
こちらが用水の流れだったようなので
名残らしい名残は見受けられませんが、
用水を挟んで住宅のグレードが違うのを感じます
あと、そこら中に犬のフンが落ちてました
ハイソな人たちにはありえなさそうですが…
高級車の前に嫌がらせのように落ちてましたが
何か静かな戦いが行われているのでしょうか
歩いているうちに先ほどの道に自然と戻ってきました
二ツ橋、これはもう明らかに用水の名残ですね
ここはおしゃれな店が多いですね
コーヒーのロースタリーもあったので
また来てみようかな
今日は三田用水以外は行かないと宣言したので
寄り道はしません
山手通りです
無断駐車の罰金額がかなり高いですね
今度から散歩の楽しみの一つにしようかな
罰金額コレクション
おしゃれカフェかとおもったら鍼灸院でした
何か奇妙なぐねぐね道
意味ありげですが
三田用水とは関係ないようです
むしろこの奥行きのない
駐車場や建物
これこそが用水の痕跡
4年前の散歩ではこの門から
キャンパス内をお邪魔しました
脇のラーメン屋がきれいになってました
唐突に現れたコンクリート製の
用途がよくわからん構造物
これも三田用水の遺構
野ざらしでもはや誰も気にとめることはないでしょうか
山手通りの大工事でかなり姿を消したようですが
なんとかまだ残っています
途中山手通りから別れて行く三田用水
人の道は行き止まりに
しぶしぶ戻ったら渋谷の新しいビルがひょっこり
松濤の高級住宅街はかつて
松濤園という茶畑だったそうなので
三田用水の水が使われたでしょうか
ストリート系チョメ太郎
山手通りもよくよく見ると変ですね
気になったワード
グーグル検索して
スペース一つ開けた時の
サジェストワードで色々察します
改めて横道
さっきのどん詰まりから
家を挟んで続いているのが丸わかり
たのしい…たのしい…
ちょっとした階段…
用水と関係あるのでしょうか
渋谷区と目黒区の区界のようです
この細い道は分水だったのかなぁ
なんて話が盛り上がります
盛り上がったよね?
突然広くなって
道が変に交差してます
古地図を見た所、
ここには橋があったようです
京王井の頭線が神泉駅へ向かいます
そのトンネルの入り口を見下ろします
山手通りを渡る信号のために
松見坂交差点まで一旦下って
また坂を登ります
どうもこのあたりに「石橋供養塔」なる
三田用水の橋に感謝を込めた石碑があったようです
下調べが甘かったと悔やむか
また歩きに来る理由ができたとほくそ笑むか
気を取り直して三田用水の道へ
鬼滅の刃柄の缶コーヒーを買いつつ
京王井の頭線のあたりから
西側に下り坂が目立つようになります
渋谷川と目黒川に挟まれた急峻な高台の
キワを、三田用水は流れます
近隣の人々は用水から落ちる水の力によって
水車を動かしていたそうです
鍋島松濤公園の水車はもしかしたら
そんな三田用水流域のかつての姿なのかも
そんな当時の風情など何処へやら
かなり古そうなホテルですが
もしかしたら三田用水のことを
知っているのかもしれません
渋谷駅から離れたこの場所も
こうして日々新しい建物が作られます
玉川通りを歩道橋で渡って
なんだか町の雰囲気が変わりましたねえ
オフィスビルのようですが屋上がおしゃれです
先ほど書いたように崖のキワを流れた用水
声が出るほど急な坂道です
遺構も何もないけれど、
ここにはきっと橋があったのさ
水車があったりさあ
高級住宅街だなあ
当時も大きいお屋敷が多かったのかな
公園です
西郷山公園です
西郷従道(じゅうどう)が、
兄、西郷隆盛の屋敷のために
用意した土地だそうですが、
隆盛が西南戦争で自害したため
従道が自分の屋敷を建てた、その跡地
聞くところによると落差20メートル!
の人工の滝を、三田用水を使用して作ったという話
公園の売店もなんだかおしゃれです
三田用水は公園脇のこの道を
通って来たんだろうなと想像
そして、旧山手通りの西郷橋をわたります
この橋はもともと三田用水のための橋だったらしい
人や車より先に、水が通されたんだな
橋の下は道、結構な高さです
古い地図を見るとどうも三田用水が先で下の道は
あとでできていることから、
下の道を通した時にかけられたのが西郷橋
ということになりそうです
この下の道は野沢通り(世田谷区内は龍雲寺通り)と言い、
渋谷から、先日散歩した駒沢公園までの道
1940年に行われるはずだった
東京オリンピックのための道だったそうです
高台を削って切り通した道、
水のない谷はそのような理由でした
これは探検しがいがある道のようです
三田用水から広がる散歩ルートの開拓
ウキウキが止まりません
さらにこのあたりから渋谷川に向かって
分水もあったようです
おしゃれさが増して来ました
エジプト大使館のあるこの道は
以前の散歩でも来たことがあります
代官山ってやつです
レンタルビデオで一時代を築いたツタヤ
おしゃれ本屋・家電店と転換が進みます
猿楽塚、猿楽神社
このあたりは高台であり、目黒川を見下ろす崖です
こういった場所には古墳がありがちです
今では開発されてしまいましたが
やはり古墳が点在していたそうです
この奥にかつて目黒“元”富士という
人工の山があったそうです
富士山信仰は古墳散歩をしたときにもありました
富士山信仰と古墳、
見晴らしの良い崖線あるあるです
“元”である理由は後述します
そんな歴史の道
結局何の行列だったのか…
特には調べません
東横線をまたぎます
奥に中目黒駅が見えます
鎗ヶ崎交差点
以前来た時は歩道橋があり
ヒルサイドテラスの全体を
見通すことができましたが
取り壊されてしまいました
旧山手通りが下り坂になり
駒沢通りと合流する交差点
三田用水がどのように渡っていたか
遺構は見えません
古い地図を見る限り
当然ですがこの交差点の方が後に作られます
三田用水にかかる橋が描かれています
地理院地図の1945〜50年代の空撮で
道路に影が落ちているのがわかります
掛樋といって、水の渡る水路の橋をかけて
この交差点を渡っていたようです
地理院地図の2007年頃の空撮には見えません
1980年代に撤去されたようで、
しばらくコンクリート製の橋脚も残っていたようですが
ビルとビルの隙間を見ても
雰囲気はあるんだけどなあ
コンクリート製の構造物があるようにも
見えなくもないなあ…
僕ひとり、恍惚
しかしながらこの先は道のない私有地なので
迂回して進みます
全裸で小鳥と話す少女のいる公園から
道を一本入れば駐車場と
住宅があるだけの行き止まり
建物の間から続くこの直線が
三田用水跡であることを確信します
行き止まりを行っては
水の流れを思い描きながら
また道を戻る
これなんかわかりやすい水の道
ここまでめげずに読んでくれた人には
伝わるでしょう、この不自然さが
そんなスポットの脇にはこんな看板が
鎗ヶ崎交差点あたりにあった“元”の理由
ここに新富士が築かれたからですね
個人宅の庭に富士山立てるなんて…
残念ながら三田用水の道は
ここからしばらくありません
脇の階段をおり、坂を下る…
こういうところからも、三田用水が
崖のキワを流れていたことを実感できます
おいおい…最高じゃない…この坂…
手すりがあるほどの急坂
直角に曲がるなんて…
坂半ばながら
マンションの入り口の高さから
高低差が伺えます
別所坂…素晴らしい坂です
さて、そろそろお昼ご飯かな
ボクシングタイム
そこは目黒川
三田用水の道が一旦区切りなので
中目黒駅前になにか美味しいご飯が
あるんじゃないかなということで
ちょっと寄り道がてら
あっ…予想外のいい神社…
やだ、旅館なんてあるのね
中目黒散歩楽しい…
お目当はここ
ちゃんとエントランスから入りましょうね
う〜ん、モダンだね
村野藤吾 作
千代田生命本社ビル改め、目黒区総合庁舎
屋内探検は日を改めて…
ブラブラとしてみます
なんか味のある道だなあ
総合庁舎の裏口あたり、
こんな素敵な中華料理が!
高伸
これは…当たりだ!
ナルトたっぷりのチャーハンは
昭和生まれの僕が感じる郷愁の味
満足したところで
ほ
三田用水へ戻りましょう
新茶屋坂通りの巨大工事現場は
かつての目黒清掃工場跡
2017年の秋に訪れた時はすでに閉鎖してましたが
まだ煙突は残っていましたね
その向かい側にあるのは
防衛省の敷地になります
艦艇装備研究所とあります
三田用水はこの敷地の中を流れていました
新茶屋坂通りも切り通しですから
当然ここにも水が渡る橋がありました
レリーフと案内板が残されていますが
かなり重厚で立派な橋だったようです
団地はもちろん防衛省のもの
フェンスの先に見えるボロボロの建物
レンガの下地が見えるので相当古そう
以前ブラタモリで放送されたこともありました
三田用水の水が今も
この施設中に残されているという話でした
当然、タモリには及ばない我々は
ここで指を咥えて
ふやふやになるまでしゃぶるだけです
さて、三田用水の道を一本外れて歩きます
艦艇研究所は関東大震災前まで火薬製造工場で、
現在の自然教育園に火薬庫がありました
工場と火薬庫を結ぶ鉄道の名残がこの道です
三田用水に比べると若く、また短命だったため
さほど残っていないようですが
以前今昔マップで見て気になって検索したところ
このように標石が残っていると紹介されていました
陸軍用地、とでもなっていたのでしょうか
ブロック塀の足元にも何か歴史を感じます
三田用水に戻ります
山手線から見える日の丸自動車学校の
真っ赤な巨大な梅干しは今はオリンピック仕様
その脇にこうして
三田用水の紹介板がありました
山手線を挟んで向こう側、
恵比寿ガーデンプレイスがありますが
かつてビールを作る工場であったことは
よく知られています
そのビールを作る工程の中で
三田用水の水が使われていたということです
裏道ながら妙に広い道
まさに用水跡です
頑なにキワを流れます
不自然な施工
まさに用水跡です(2回目)
目黒駅前にはもはや痕跡を感じません
駅の南側、目黒通りを流れていたようですが
なんやあの床屋のくるくる!
ちっさ!
そして目黒通りからまた一本道を逸れます
なんせ、キワを流れるので
駅前マンションの公園は賑やか
昭和のセンスが光る店の先は坂
ちょいちょい行き止まります
諦めずに道を逸れながら
古地図を確認しつつ
流路を辿ります
一瞬、目黒通りに戻ります
なぜなら、キワに沿っているからです
また道を入って
これが流れだったんじゃない?
とか想像しながら
また道を迂回して
これ、絶対そうだよ
このお家の並び方…
この駐車場!
芝白金団地
萌える、萌えます
でももっと萌えるのがこの先に
その先に
目の前に!
現れたのは水道管!
これ絶対三田用水だよね…
さあ、クライマックスは近い
埋められた橋の跡でしょ、これは
階段を降ります
目下のゴール、三田用水の保存された遺構です
感嘆の声が上がります
僕の目には涙が…ありませんでしたが
涙を流したに等しい感動がありました
三田用水をたどる散歩も
エンドロールが流れてまいりました
道なり道なりに
名残がないんだか
あるんだか
この先の皇族や貴族の邸宅の
それぞれの庭へ水が引かれていたようです
新しい1万円の顔、渋沢栄一のいとこの邸宅にも
三田用水の水が使われていたようです
現在の八芳園にあたるところです
笹塚の分水口から
自然の水が流れ落ちるように
ここまで緩やかな勾配を作ったんだと
往時を偲ぶと感動もひとしおふたしお
高輪台駅前に出て来ました
異常な長さの部ログになりましたが
どれほどの人がついてこれたでしょうか
●
トイレ休憩に立ち寄った公園のすずめたちが
ふくふくと丸くなる姿に
季節の移ろいを感じました
散歩しやすい気温になったね
旧白川宮邸跡地にたったこのホテル
グランドプリンスホテル新高輪も
村野藤吾の作であった
そして、品川駅で解散となるのですが
充実感と疲れで、締めのコーヒー飲んだ店で
カメラと帽子忘れて電車乗りました
大崎駅で気づいて慌てて取りに戻る
あっぶね〜
●
最初の宣言どおりではなく
ちょっと寄り道してグルメもしました
予定よりかなり歩きましたね
部員の皆さん、お付き合いありがとうございました
次回もよろしくお願いします

























































































































































































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