2021/04/04

そして考古学へ…


2月21日の散歩レポート
Aちゃんが鮫洲で免許の更新をするというので
他メンバーはそれを迎えに行く感じで
大森から歩いて、途中で合流します

 

駅のホームにはこんなものが
「日本考古学発祥の地」とな!?


大森駅山王口
駅の西側は高台、山王というエリア
駅の東側は海岸へ向かう平たい土地
駅前通り(池上通り)は
古く、房総半島も見えた高台の道
様々な景色を望むことから八景坂と呼ばれた

正面の天祖神社の裏手には
明治から大正に八景園という遊園地があったそうな


駅を出てちょっと歩くと
なにやら怪しい下り階段と小径


でたわね。
通称地獄谷と呼ばれる飲屋街、
山王小路飲食店街


多分にもれず、
緊急事態宣言に従っているようです


まやかし…?
一体何が…


脈略のない文章は怖い
トタン板の向こう側にはサンドバッグが…
一体なんなんだ…


なぜ地獄谷かというと
今でこそ階段ですが
かつては急坂だったそうで
楽しく呑んだ後
その坂を登ることができなくなり
抜け出せなくなるから
ということだそうです


歩くことにストイックな散歩部は
酒に溺れることなく脱出
東海道線/京浜東北線の線路に沿うように
八景坂を、池上通りを歩きます


坂を登りきったあたりで横を見たら


ジャーマン通り
馬込方面へ下り坂のようです
いい天気だ


池上通りを進んで本日第1の目的
大森貝塚


大森貝塚の碑…のミニチュア


NTTのビルの奥に史跡があるの?


線路沿いだ


1877年、「腕足類」の研究のために
アメリカから来日したモース博士
新橋から横浜へ向かう開通したばかりの汽車の窓から
貝殻が折り重なる露頭を発見、
日本政府に許可を取り、発掘調査を開始

この時、日本の考古学が始まった
その場所だという…
そういうわけで、大森駅のホームに
「日本考古学発祥の地」とあったわけ

明治初期まで日本には「考古学」
というものがなかったということだね


しかし、ここにはモースが発見したように
電車から見えるように貝塚の碑だけが立っていました
入り口にあった記念碑のミニチュア、
それ以外にもやたらキリの悪い数字の
「〇〇周年」の張り紙など
非常にもやもやするスポットでした


道路を挟んで大森山王日枝神社
山王の地名の元になった神社です


すぐ脇には大森不動尊


そして…なんだこれ
この方は「うそつく人はバイバイ」で
流行語大賞を狙っているそうです


もうすぐ品川区です


謎オブジェ
川跡のようで、ここが区境になっています
山王橋というのがかかっていたとか


振り返れば大田区


そして本日第2の目的


大森貝塚です

また…?


先ほどとは違い立派な公園です


力の入り方がだいぶ違います


モース博士の胸像


後ろ姿も完璧


高台を登れば


眺めが…うん
電車がよく見えそうだね


子供は楽しいだろうなあ
(おじさんも楽しい)

大森貝塚がなぜ2箇所になってしまったのか

それはモース博士が貝塚の場所を
ちゃんと記録として残さなかったためという

昭和4年、品川区は品川区の
続いて昭和5年、大田区は大田区の
それぞれ発祥の地が存在する羽目に

結局正解がわかったのは昭和59年
品川区側、つまりこの公園のあたりが
モースの調査値だったと判明

考古学発祥の地が
考古学の枠組みに入ってしまったような話



貝塚の標本!
これを博士は発見したんだね
汽車から見つけるなんてかなりのマニアでは?

と、その時!


なんか急にドリーミーにミストが!
  これもう考古学会のディズニーランドだろ…



散歩ってのはどうでもいいような
驚きがあるようなないような
覚えてられるようなられないような
そんな発見ばっかりです

東急バスの操車場の上がマンションだとか


下水道の空気抜き管とか
気に留めないけど
すごく大事なもの


みはらしのよい下り坂



栄養食株式会社のレトロな建物


鹿嶋神社
茨城の鹿島神宮を総本社とする


華美な装飾はなくぱっと見質素ですが
立ち並ぶ大きな木や渋い木造の本殿
境内に立ち入るとその荘厳さに圧倒されます


品川区の天然記念物、大きなタブノキ
パワースポット感がすごい!
ここはおすすめです



Aちゃんの講義が終わったそうなので
早足で池上通りを大井町へ


団地の1階はスーパー


ファンシーショップ…
ああ、団地周辺の商店の味わい深さよ


なんだか目を引く建物がちらほら


あの大きなマンションは
かつて伊藤博文の別邸があったところ

そしてちらほら見える再開発の予感
池上通りの拡幅中



品川生活と健康を守る会
隣にスポーツジムがあるので説得力ある


この道を降りれば



大井駅前公園
もう大井町駅まで来たんだね


公園とはいうけどこれは…
遊具には見えない


中に入ったら…トイレ
公衆トイレがこんなにスタイリッシュなの!?


天井が高い!
無駄に空間を贅沢に使う素晴らしさ!
感動でおしっこが止まりません


電車と比べると大きさがよくわかります
なんかすげー

とウキウキしているところでAちゃんと合流
ちょっと早いけど
駅前にいるうちにお昼ご飯行こう


これからの散歩ルート考えると
ランチの店は絶望的なので



狭いカウンターのカレー屋とか
ここにたどり着くまでにも美味しそうに見えた


大井町駅前はアーケードも魅力的だけど
この裏道も素敵だよねえ


わぁ…ときめく
開店前すでに大行列の有名中華料理屋も!


あ、あの店いいじゃん雰囲気最高じゃん
ちょっと並んでるけど…すぐ入れそう

ってんで


この日のランチは牛肉カツとクリームコロッケ
割と優しい味のミルフィーユ式牛カツ
とにかくうまいのが豚汁!
濃い味でたまんねー
Sさんのご飯の大盛りはとんでもない山でした

なんかAちゃん元気ないと思ったら
大井町に早く着きすぎて
マクドナルドでハンバーガー2個食べたんだって


黒ずんだ食品サンプル、
やや傾いた昭和な店内、
ブルドック、いいお店でした



アーケードをまっすぐ進みます


大きな交差点


仙台味噌醸造所
仙台藩から味噌作りを継承した歴史ある味噌の店
このおしゃれな建物は大正時代のものだって!


仙台藩の下屋敷があったため、(旧)仙台坂の名前が
麻布の韓国大使館前も仙台坂だよね
あちらにも下屋敷があったそうだ


面白い構造です
ちょっとしたバイパス状
なかなかの急坂なので
だいぶ高台なんだと実感


泊舩寺
海が近かったからこういう名前なのか


だってここは鮫洲
古くは海岸沿いだった旧東海道に沿っている


大井公園


こちらには鯖江藩の間部氏の下屋敷
鯖江藩自体は徳川吉宗の代に
間部氏を藩主として事実上の左遷で
新しく作られたという

幕末には当時の藩主間部詮勝が
安政の大獄に関わり
吉田松陰によって
暗殺を企てられたこともあるらしい

しかし、捕縛した尊皇攘夷派を
死罪と決めた直弼と対立し、失脚

のち、直弼は暗殺されてしまったが
詮勝は失脚後、幕末の政変には関わらず
明治17年まで画家として生きたという


そんな公園の一角に


えらい立派な階段


山口容堂の墓

土佐藩主として
先進的な藩政を推し進めたこと
坂本龍馬の脱藩、薩長同盟のほか
数々の酒豪伝説を持つ


泥酔状態で政治の話をするから
岩倉具視に怒られ、あれよあれよと
倒幕までされてしまった始末
明治維新後には政治への参加もそこそこに
酒を飲み、女で遊び、
若くして死んでしまった

土佐藩の下屋敷があったこの
見晴らしのいい高台に墓がたった

とまあ、幕末のドラマチックな人々がこの一角に
ぎゅっと詰まっている

東海道を見下ろす景色の良い高台で、
たくさんの大名の下屋敷があったこの辺りでは
当然のことかも

余談、信ぴょう性は薄いらしいけど
どうやら土佐藩下屋敷跡にビール工場があったらしい
もっと資料があれば、
横浜に成り代わり日本ビール発祥の地と
なるかもしれないようだ

容堂にぴったりの話だなあ


そして古墳…
だけどなんの案内板もなく本当に古墳なのか
ちょっと自信がない

でも食料豊富な海岸線において
古墳(=地域の実力者の墓)ができるのは
当然のことなのでたぶんそうなのだろう
この辺りの地域が開発されるまでは
そういった小山がたくさんあったに違いない



道を戻って仙台坂のタブノキ
鹿島神社にもあったようにとても大きい


仙台味噌醸造所の前の道を入ると
見晴らし通り
何も見晴らすものはないような住宅街の道



これといって何があるわけでもないようですが


建物のなかった昔は高台だっただけあって
海やら富士山やら見えたそうな


ちょいと見つけた階段を上がると


大井町駅方面がまあまあ見えます


素敵な教会


ピザ屋のバイクが駆け下りた急坂


源頼朝の命で梶原景時が萬福寺を建立
寺の守り神として建てられた稲荷神社
萬福寺は馬込に移転、
稲荷神社は梶原家の邸宅に移転とある


猫ちゃん!


猫ちゃん!



非常に味わい深いイラストの
お菓子の問屋さん
味わい深いなあ


品川区関ヶ原シルバーセンター
関ヶ原!?あの!?
と、これまで歴史ある人物や事件に触れたので
関係ありそうに読めるけど
このあたりを流れる立会川の水車の「堰」が
開拓された水田の「原」に水を送っていた
ことからつけられた地名だそうで
今は住居表示としては残っていないそうな


うわあ階段だあ(ゾクゾク)


これはやばい…やばすぎる(愉悦)


そんなこんなで立会川と出会う
なんにもなさそうだった見晴らし通り
実はいろいろと面白かった


住宅街をとぼとぼ


京浜東北線の線路だ
その向こう側に出て


光福寺というお寺に
23区凸凹地図見てて気になってたもの


大井の井
広い墓地をウロウロしてちょっと迷った


大井町の名前の元となった湧き水
詳しい話は説明板の写真で


つまり、浄土真宗の親鸞の弟子、
了海が浸かった産湯の湧き水を
大井、と呼び、寺も大井山と呼ばれ
そこから地名になっていったそうだ


何書いてあんのか気になって
写真で撮って読もうとしたけどわからず


寺に入ってすぐの大木はイチョウ
おぞましいほどの怪物的フォルム
圧巻の存在感


麻布善福寺のイチョウと兄弟とな
善福寺も了海上人が関わってるんだとか
そういえば善福寺にはまだ行ってないな
麻布散歩したくなってきたぞ



ひたすら住宅街


あ、あのファンシーショップに戻ってきたぞ


立派な建物の品川区立品川歴史館
わずか100円

東海道品川宿を中心とした品川区の歴史
また、先のモース博士の発見とその後
日本の考古学がどのように発展していったか
そんな展示がありました

端折りますががっつり面白かった!



撮影オーケーのコーナーを
目一杯写してみました


美しい庭には
水吟窟があったり


移設された縄文時代の住居跡も
ほんと不思議だよね、
2000年以上経ってもこんな風に
生活の跡が残ってるんだから



陽も傾き始めて品川歴史館の脇の坂道へ



ここに至るまで膨大な量の
歴史情報に触れてしまったために
いささかこういったものに
疲れを感じているような気がする


だんだん写真もテキトーだ


でっかいマンション…



えっ! 湧き水!
ちょっと元気でました


なんでニノキン〜?

この薪を背負って読書という
今でいう歩きスマホ状態が
かつて「日本国民のあるべき姿」として
政治利用された二宮金次郎像
実際の二宮尊徳の業績はあまり知られていない


いい感じの駄菓子屋



なんかあんこっぽいものが食べたいと
休憩できる店を求めて彷徨う


第一京浜


歴史ある旧東海道ならなにかあるだろ


本当はちょっと行ってみたかった
大井競馬場のある勝島


人気No1のパチンコ屋
根拠と基準がわからん謎のNo1
Wikipediaなら[要出典]の嵐やぞ


立会川の橋
浜川橋はまたの名を泪橋

鈴ヶ森刑場に送られる罪人を
見送る親族が涙するからとか


さっきからなんか飛行機低いよね…


あ、京急線が止まってる


やっぱ飛行機低い…
すごく大きく撮れるじゃん


商店街は静か…
コロナのせいなのか、元々なのか


ここで休憩する?
いやぁ…ちょっとね…


土佐藩下屋敷があったこと
黒船来航にそなえて
海岸警備をしていたらしいことから
立会川駅前には龍馬像


坂本龍馬はみなさんのおもちゃです



京急線の急行止まらない駅前の雰囲気
なんかいいよね


特に何もないまま


だらだらジグザグと歩く


ほれ、飛行機! 飛行機!



勝島運河
この運河の整備をしたところ、
それまではっきりとしなかった
土佐藩が管理していた浜川砲台の存在が
明確になったとか


とにかく飛行機が低い
羽田空港の飛行経路が新しくなったからだそうだ


カモ


ビビって逃げる


もう飛行機はいいか…



歩けど甘味は見つからぬ


Aちゃんが朝行った
鮫洲試験場への案内
ということは



鮫洲駅


あれは旧仙台坂だ…


適当にコンビニでコーヒーとか買って
さっきの運河沿いで休憩すればよかったよね
という話になるが
今更立ち止まるわけにはいかぬ


品川寺…に行く気力もなく


近くにドトールあるよ!



青物横丁駅前のドトールが激混みで
恨めしそうに店内を外から見る


どんどん日が暮れていくね


坂を登って


遠くからでもわかる秀和レジデンスのフォルム
世の中には秀和レジデンスの
マニアがいるというから驚きだ…


ああ、また味噌の交差点に戻ってきた


ブルドックの看板に灯りがともる



すっかり暗くなったね
おかげでこの小径がいい雰囲気に


結局休憩しないまま
ちょっとコンビニに寄って解散


僕は僕で電球買って帰るつもりだったけど
疲れ切ってダメでした

部員の皆さんお疲れ様でした
こうして部ログを書くと
行かなかったスポットや知らなかったことが
たくさんあぶり出されて悔しくなります
また大森・大井町もそうだし
大井競馬場方面あたりの散歩にも
よかったらお付き合いください

さて、3月散歩も記事を書かなきゃ…