いきなり世紀末っぽい街並みですが
ここは駒沢大学駅前
待ち合わせ時間よりも
ずいぶん早く着いてしまったので
たぶん、今日は行かないよな、
という方にちょっと行ってみる
駅前なのにパッとしない…
という駅の裏側
こんな道に出ました
これはかつての「品川用水」の跡
江戸時代初期に玉川上水から分水され
農業用水として開削されたそう
現在戸越公園のある
細川家の庭園にも水が使われたらしい
昭和の人口増加による宅地開発から
農地の減少、工業用水化、下水化、
やがてゴミで埋められたという
このお宅の前の石は
手すりの名残…
だったりしないか
環七通りに沿ってしばらく流れ、
学芸大学駅、武蔵小山駅、戸越…と
田畑を潤したという
さて、そろそろみんな来るだろうか
それにしても
なかなかそそる駅前だ
●
いつものAちゃんと
ちょっと遅刻したMさん親子と
集合した散歩部、まずは駒沢公園へ
自由通り
GEO閉店…
がんばれ街の灯台
目黒区と世田谷区のキワになってます
なんとなく雨の続いた9月
少し肌寒い朝
城ケ島の暑さが嘘のようだね
つきました
駒沢オリンピック公園
早起きのランナー達が駆け抜けます
豚だ〜
Aちゃん、ほらほら
豚の公園だよ〜(悪意なし)
80年前
1940年東京五輪
その会場になるはずだったというこの公園
戦争によって五輪は中止となった
そして終戦後の1964年、東京五輪
国立競技場に次ぐ会場として完成した
建築的にも見所が多くて面白い
けど今日の散歩部は目指すところがある
それは公園そばの、このおしゃれなカフェ
ではなくコメダ珈琲…
クソ熱いコーヒーで
まったりと
ざっくりとした
今日の予定を立てます
●
Aちゃん思い出の街
高級住宅街の道を行けば
呑川緑道
桜新町を水源とする川で、
緑が丘駅の東工大の裏ぐらいまで
しばらく地下を流れる
つまりは暗渠
エーダンモール深沢、という名のとても静かな商店街
なぜ、エーダンかというと、エーダンモールのHPに
第二次大戦の終わり頃に戦災で焼け出された人達を救済するため、国が長屋形式の住宅を建て、終戦後そこを払い下げて営団住宅となりました。エーダンモールの名称の由来です。
とありました
つまりは、営団=エーダンなんすね
1945年〜1950年の航空写真でみても
田畑広がる地帯に突如として建てられたのがわかります
今現在もこの周辺の家の細長い密集は
往時の長屋を思わせるものでしょうか
この緑道の先にAちゃんが上京、
就職した思い出の地がありました
さて、エーダンモールに戻って来ました
メインストリートっぽいですが人の気配はなく…
でもそれが穏やかな時間の流れを感じさせます
Mさんの息子くんが駄菓子を購入
子供よりむしろ大人の方がキャッキャしたよね
あ、階段だよ
猫ちゃん変なポーズをした
あ、階段だよ(2回目)
呑川を谷にして緩やかに台地を上がります
建て方に深沢の起伏の複雑さを感じます
こんな風に、唐突に階段があったりして
歩いているうちに地名は等々力
ここは…
「とどろき」の地名の由来と言われることがある
「とどろ城」があった
都立園芸高校
最近では鉄腕ダッシュが稲を育てている
ほどなくして、オリンピック選手を多数輩出する日体大
そして、また呑川
上流は開渠として、遊歩道が整備されて綺麗
すごくもじゃもじゃです
車もブリバリ通るのね
数日ポツポツと雨模様だった割に
水の流れが乏しい
ところどころ綺麗な橋がかかります
猫ちゃん水を飲んでた
モサモサだぁ
246を越えて/首都高をくぐって
川は〜?
ん〜?
一応、ここが起点となるらしい…
みんな、猫ちゃんが水飲むんだから綺麗にしてよね…
現在の源流に近い主な水流としては
カトリック無原罪聖母宣教女会敷地内の
湧き水が流れ込んでいるそうです
でもさぁ、この先の道さぁ、
これ絶対暗渠…川だよね(ニヤァ)
昔の地図でも流れをあまり確認できませんでしたが
おそらくそうなのでしょう
ちなみにこの西側は
東京初の郊外型高級別荘地
「新町住宅」がありました
そしてその先のこの道は…
もしかして…
そう、サザエさん通りだね
長谷川町子が暮らし、
サザエさんの物語の舞台となったのが
この街、桜新町
今時、サザエさんファン
そんなにいるのかなぁ…
おった! たくさんおった!
桜新町駅前のメインストリート
丹沢の大山へ続く道、大山道
朝、僕が一人で歩いた品川用水はこの道の、
この写真でいう左側の歩道を、
築かれた土手の上を流れていたそうです
はっ…
幾度となく抜かれたそうです
今は最新テクノロジーで抜けないとか
田園都市線の前身とも言える
玉川電気鉄道がこの広い道を走っていました
また、高度経済成長期の
集団就職者ブームのきっかけだったそうで
上京者を多く受け入れていたという
Aちゃんもそのうちのひとり…?
突如現れた斜め直線の道
その先のヨーロピアンなお城…?
駒沢給水塔
大正時代、急激に人口が増えた渋谷に
多摩川の水を送るべく建てられた給水塔
モダンデザイン、てっぺんの王冠がすごく素敵
1号塔、2号塔と建てられ、3号塔は予定だけ
双子の給水塔として街のシンボルになった
工事の際に関東大震災に遭遇するも、耐えたそうな
近づきすぎて見えなくなった
閑静な住宅地をカメラ持ってウロウロしてたから
素敵なマダムに声をかけられた
「あんたたち、怪しいわね、死になさい!」
などということはなく、
この双子の給水塔がよく見えるポイントと
そこに至る道を優しく教えてくれた!
ありがとう…ありがとう…
言われた通りに行くと
お、これも大正時代っぽい
マダム…木がもじゃもじゃで思ったより見えません…
はじめ社長が来たそうです
(はじめしゃちょーではない)
アンジャッシュ希!
幸せの場所とありますが、
アンジャッシュ希は幸せなのでしょうか?
滾々不盡…
なんだよそれ…
「コンコントシテツキズ」
だそうです
これは2号塔だそうで、
1号塔には
清冽如鑑
「セイレツカガミノゴトシ」
とあるそうです
現砧下浄水場より
多摩川の河川敷の下に隠れている水を、
送水ポンプでまっすぐ直線に
一気に塔の高いところへ水を持ち上げ、
そしてまたまっすぐに、
渋谷方面へ落として行く
渋谷水道の道
今もこの道の下には多摩川からの水道管が続きます
この散歩に前後して、この給水塔に至る水道管の道を
一人散歩して、痕跡を探索したので、
後日、改めて補足記事にしたいと思います
では、駅前にぐるりと歩いて戻りますか
はあ〜高低差… 車止めのサビがいいねぇ
獣道!
住宅街!
とても凛々しい姿…惚れ惚れします
●
お昼ご飯はこの街の名店へ
懐かしいうまさ!
賑やかな店内、昭和感あるいい店です
膨れたお腹で大山道を
用賀方面へ行ってみましょう
なんだこの…女子感!
「オヤツヤサン」だそうで…
嫁に話したら「有名だよ、行きたい!」
とのことでした
女子のハートがっしり掴んでます
この日はプレオープンだった模様
大山道の「追分」
三軒茶屋駅前に大山道の道標があり、
一つは今歩いて来た桜新町ルート
もう一つは世田谷通り・弦巻通りのルート
それらがここで合流します
用賀ビジネススクエア
用賀駅に到着です
かっこいいすり鉢状のエントランス
●
そして渋谷
流行に敏感な散歩部は
新しい渋谷のチェックも欠かしません
かつてはここも水の道
渋谷川の流れがありました
新宿御苑を起点として国立競技場の西を通り、
今ではキャットストリートと呼ばれる道を流れていました
やがて東急百貨店…から変わった
渋谷ストリームあたりから
今の流れになるわけですが
1964年のオリンピックを境に
ここまでの流れは暗渠となり、
今では下水道扱い
雨水は今の渋谷川に流れることはありません
今の渋谷川は高度処理された浄水を流しています
水の流れは人の流れに
のんべえ横丁を裏手に、新たにのんべえの道
これが今の渋谷の姿
曇り空一転、秋の青空
スケボーしたり
ボルダリングしたり
ビーチバレー!?
ちょっと怖かったあの公園が
気持ち良い公園になりました
はえ〜なんかオシャレ
歩道橋がなくなったこのガード下
心なしか明るい雰囲気…なのか?
ドトールで休憩を挟んでMさん親子とはお別れ、
歩き足りない僕とAちゃんは少し散歩
ちょっとだけでも裏道へ
創業令和2年とな!?
コープオリンピア
日本の「億ション第1号」であり、
ある意味オリンピック遺産的な
築54年を迎えたこのマンションも
建て替えの話が出てからしばらく経つが、
話は進まないようだ
原宿駅の新しい姿
この旧駅舎はまた再現されるらしい
駅前の新施設
WITH HARAJUKUでIKEAを覗くも
人が多くて断念、
裏手から竹下通りをぼんやり眺める
原宿駅でAちゃんと別れ、僕は人の濁流を
流れのままに、表参道駅へ
歩き足りないと思ってたけど
家について即寝
すごく疲れてたみたい
●
やっぱり散歩は気持ちがいい
もっともっと歩きたい
桜新町でもまだ行けていないエリア
渋谷だってまだ行ってないところがある
どんどん歩こうと思う
散歩する気持ちは滾々不盡
ではまた次回






















































































































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